悲愴交響曲

チャイコフスキーは法律学校で学び司法省に就職しました。音楽の勉強は7歳の時ピアノの手ほどきを受けましたが、専門の教育ではなく、むしろ愛好家としてのスタートでやがてペテルブルグ音楽院に学びました。チャイコフスキーはアントン・ルービンシテインに作曲理論を学び、それがスケールの大きな作曲家となる土台を作りました。ロシア民族、風土の特徴である重厚さ、無骨さ、憂鬱さなどに裏付けられた音楽を数多く作曲していますが、民族主義の音楽とは少し違った行き方をしています。この国の民族主義の作曲家の作風とは違い、ヨーロッパ風土の入った洗練された面ももっています。チャイコフスキーはベルリン、パリ、ローマなど、ヨーロッパ各国へ赴き、そのスマートで調理された曲を作って行きました。しかしスマートとはいえ、彼の作品はまぎれもなくロシアを感じさせ、どの曲を聴いてもチャイコフスキーと悟らせるものを持っています。ロシアには美しいメロディの民謡がふんだんにあり、チャイコフスキーはこれらの豊かな素材を生かして多くの曲を作りました。交響曲は6曲、そのほかピアノ協奏曲、バイオリン協奏曲、白鳥の湖、眠れる森の美女、くるみ割り人形のバレエ音楽のような大曲からアンダンテ・カンタービレなど一般に愛されている小曲まで書いています。いずれもメランコリックな抒情をもつ曲ですが、とくに交響曲第6番ロ短調悲愴はチャイコフスキーの総決算的な作品といわれ、暗く絶望的なペシミズムとロマンティシズムが心を打ち、多くの人達に愛されています。

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